野球の練習 3/53日

朝起きて、昨日同様、夏休みの先行きに不安を感じていた。
バイトもない=お金も無い、好きな子とも遊べそうにない…
ん〜どうしようもないほど暇になりそう。
下手したら20歳の夏休みは、人生最悪の夏休みになるのでは?
もうこの際グアムでも行ってしまおうか!
そのぐらい現実逃避したくなってきた。


とりあえずいろいろ話したいこともあって、アサミさんに野球の練習に誘った。
その前にメッツのメンバーでバッティングセンターに行った。
95キロは打てるんだけど、110キロあたりから全然打てなかった。
ん〜夏休み素振りは欠かせないな。
そして解散後、アサミさんと合流し、今川公園へ!
芝のグランドはホントは野球禁止らしいけどお構いなし。
実際他の人もやってるし、年配格闘家みたいな人もいるし(笑)。
とりあえずキャッチボール、フリー打撃、ノック、フライ練習と一通りやってみる。
やっぱりアサミくんは上手い。
遠投もよく飛ぶし。それに比べて俺はへタレだ、肘まで痛くなるし。
フライの練習はいっぱい走ってくたばった→でも捕れたの4/12球くらい↓
そうして疲れ果てて帰る前に、俺たちは芝生に横たわり
間もなく暗くなり始めた空を見上げた。
雲が優しく流れ、俺は空に吸いこまれ、自然に溶けていくような気分だった。
この感覚は、時間に追われた我々現代人にとってかけがえのない意味を持っていると、
俺は昔から思っていた。


それがこのブログのタイトルでもある。
今までさんざんタイトルと関係の無い話しをしてきたが、
私たち地球人の原点は大自然であることは間違い無い。
しかし道路はコンクリートで塗り固められ、
町からは緑が消え、
人々は経済的・物質的な豊かさを求めるだけである。
それゆえ、時間の流れは早く、
現代人のさまざまな病気の原因となる激しいストレスを生み出した。
現代病と呼ばれる病はそういったものだ。
この世間の荒波の中、
郵政民営化などでなく、もっと他に議論するべき問題があるのではないかと思われながら、
あまり誠意も見せずがんばっている政治家もいるが、
遠く砂漠の不毛の地に砂漠でも育つ木を植えようと汗水を流し、頑張っている人も立派だと思う。
俺が目指したいのは後者だ。
建築を勉強しているが、建築物だって自然を無視してはいいものは生まれない。
だから俺の設計はいつでも自然を第一に考えたいと思っている。
目に見える自然で言えば水・木といったものがあり、
目に見えない物で言えば風・光・といったものか。
そして何度も書いていたが将来は建築に携わりつつ環境や自然に関わっていきたいのだ。
甘ったれた考えで言えば、根底には「時間のゆっくり流れる生活がしたい」という考えがある。
決して建築や環境の仕事で時間はゆっくりは流れないだろう。
それでも自然は私たちに日常のストレスを忘れさせてくれる何かを持っている。
誰もが「自分がちっぽけに思えた」という感想を述べた事があるだろう。
自然は大きい…人間がいかに進歩したって自然にはかなわない。
自分だって自然の一部だ。
だから自然を感じられる時間、自然と一体になれる時間
これは間違い無く私たちにとって思っている以上に貴重なものだ。
きっと俺に自然の大切さ、環境を守る必要性を一番よく教えてくれたのは、
他でもない、子供の頃おばあちゃんと庭で草むしりをしていた時間であったに違いない。