幸せの定義

サークルのN先輩や立花がこの幸せの定義についてあつく語った掲示板がある。
そこであらためて俺も考えてみた。
当然これは人それぞれ違うものだ。
でもなかなか考える機会が今までなかったと気づく。
ある意味でそれは感覚的なもので、言葉にしづらいものであるけど、
でもこれを機に悩んでみるとしよう。
考え始めたらかなりの時間がかかった。
以下、俺の意見を述べる。


幸せのなかには「人生の成功」ってことがあるだろうか。
恋や仕事(学業)といったものだ。
人によりそのウェイトは違うけど、
俺はかなり恋に重点を置いているというのはこのブログを見てる人ならすぐわかるかもな。
俺の高校生活を振り返ると、あまりパッとしない、ってのが率直な感想。
他の希高生は口をそろえて「希高サイコー」と言うが、
俺は素直にこう言うことはできない。
それはなぜか。
中学が楽しすぎたからだ
自分の中で最も輝いていたのは中学時代である、という先入観からか、
高校時代を思い出すと部活とコン☆ポタ(アカペラグループ)しかない。
フツーの授業など学校生活の思い出は痛いくらい少ない。
単に面白かった、つまらなかったの問題でなく、
(確かに本気出してがんばらなかったと言う事実はあるが)
おそらく俺の場合、中学時代の方がいい恋愛をしていて、
高校での恋愛はうまくいっていたとは言えない。
俺は冗談交じりで「俺の冬の時代は高校1年から始まった」とよく言う。
今もいわゆる「冬の時代」だから、やっぱり幸せとはいいづらい。
そしてとにかく悩む…悩み続ける。
つまり恋愛が自分の幸せに大きく関わるのは間違いない。
でももっとそれ以外のこともあるはずだ。


たとえば人生楽ありゃ苦もある、と言うけど
苦しいときがあるから、より一層楽しいときの輝きが増すと言えると思う。
ちょうど体が冷えきったときお風呂に入って妙に熱いと感じるのに似ている(?)。
俺も受験生のころ、ホントに悩み続けた。
すべてが味気ないものに見えて、自分の存在そのものまで否定したくなるころがあった。
でも念願かなって合格発表を聞いた瞬間、
塾に合格の報告に行くまでの道で、
俺は灰色一色の世界が鮮やかに彩られていくような感覚に包まれた。
まさにそれまで狭かった世界が大きく見えたのだ。
それだけ苦しい思いをしたから、受験が終わったときのあの喜びがあったのだ。


よく歌の歌詞にある「何気ない毎日が一番幸せ」という言葉はホントに素敵な響きだ。
たとえば(これは極端だけど)前にバレーで靭帯をやってしまったとき、
健康でいることがいかに大切ですばらしいかに気づかされた。
恋愛関連で言えば告白するというのは勇気がいることだけど、
それ以上に失敗した後気まずくなることを恐れる。
気まずくなって、友達としてバカ話をしていたころがいかに幸せだったか
と感じることはよくあることだろう。
俺は恋がたとえ実らないとわかっていても、
ちょっとのことで嬉しくなったり切なくなったりするのを楽しいと感じたりする。
もちろん両思いになることが望ましいけど、
片思いでいる時間も、というより恋をしている時間ってものが大切だし、
幸せだと感じることもある。


結局幸せの定義というのはよく見えないままだけど、
最後に言いたいのは「失ってはじめて気づく」こと。
「何気ない日常」。
今の俺はサークルやメッツを中心として
多くの仲間に支えられて生活している。
もし明日サークルが消滅したら…明日が卒業だったら…
そう考えたら涙も出るに違いない。
普段全然気づかない、
どれが楽しいか聞かれてもうまく言えない、
でもとにかく今のサークルが自分にとってホントに大切なものだ。
部室でゲームしたり、飲んだり、バレーしたり、遊びに行ったり、
すべてが輝いてる瞬間なんだろう。
社会人の友達がうらやむような日常だと胸を張っていい。
バカみたいに笑うのだって実は今しかできないことかもしれない。
でもそんなことになかなか気づかない。
失って初めて、自分がどれほど幸せだったか、
なんでもない普段の生活がいかにすばらしいものだったか気づくに違いない。
「虹の中にいる人は自分が虹の中にいると気づかない」
俺は今幸せだ、でも気づいてない。
恋を求めてばかりで、その何でもないことに気づいてない。
もうすぐ大学生活も半ばを過ぎる。
今の瞬間を大事にしよう、胸に刻もう!


幸せは、口にすればほら指の隙間からこぼれ落ちていく形ないもの(「Far away」より)
幸せは今という時間そのものかもしれない。
欲を言えばこれに恋の成就が加わったらもう文句ない幸せです。


おまけ
かつて浜崎あゆみは次のように語ったと聞きました(信憑性はありませんが)。
「みんなは私が富も名声も手に入れ、幸せに見えるかもしれない。
でも(結婚したくても事務所が許してくれないから)
みんなのように一番大切なものは手に入らない。」と。
すべて自分の思い通りにいったら幸せかもしれない。
でもそうでなくても、幸せはずぐそこにあって
誰でもつかめるものだと信じたい。