ジーコジャパンと日本の街並み

決して7/12と関係ないけど、
多分この日記書いたの気づかれないと思うけど
ちょっと14日の朝、原付乗っててふと思ったことを書いてみる。


ジーコジャパンはW杯で惨敗した。
ジーコは大批判を受け、早くも次期監督へマスコミは目を向けている。


ある評論家は言った。
ジーコジャパンは結局自分たちのサッカーの形を作れなかった。
原点に戻ろうとしても、戻るところがなかった。」(みたいなことを)
内容の悪い試合をして修正しなければと思っても、
自分たちのスタイルというものが誰にもわからなくなっていたということだろう。


トルシエジャパンが完全に管理された組織プレーを重視し
個人技を徹底的に排除するというスタイルを維持し続けたのに対し、
ジーコジャパンのモットーは選手たちの自主性によるサッカーで
まさにブラジル代表のようなフィールドを自由に駆け回るサッカーを目指したのか。
残念ながら日本人の能力と精神力が足りなかった。


この精神論に関して言えば日本人の多くが当てはまってしまうだろう。
またいい意味で攻撃性をある人材は日本では育たず
サッカーで言えば絶対的なストライカーが生まれにくい国の体質である。


さて、それが日本の街並みとどう関係があるかと言えば
直感で言うと欧米の真似をして近代の日本の都市は発展してきた。
その結果、高層ビルの立ち並ぶ都市が日本の中心地となった。
住宅もかつての古民家や長屋は失われ、
個性のない家が軒を連ねる。
しかし隣近所と立面の表情を同調するのを嫌い、
各々が精一杯個性を出そうとした結果、街並みなどという概念はまったく無視された。


そもそも風土も歴史も違う欧米の真似をして作られてしまった日本の街並み。
江戸時代にさかのぼれば古臭くても日本らしさのある街並みであり、
現在の状況よりもずっと魅力的であった。


だから今の街並みには「日本らしさ」なんてものはない。
戻ろうと思っても戻るところがない。
みんながみんな好きなように工事し、統一感などはない。


確かに日本で暮らすことは幸せなことだ。
イタリアに行って痛感した。
でも国内にいてはなかなか日本のよさは感じられない。
ましてや毎朝通勤ラッシュやら交通渋滞やら
朝見る景色は決していいものではない。
これが豊かな国の姿なのだ…


そう思うとやはり日本の将来に不安を感じずにはいられない。
いまいちど原点を取り戻す必要があるのかもしれない。