都市住民は農村によって生かされている

ってのが最近の持論。


今日から3日間、山梨県芦川村という場所で
ビオトープを含めた造成や、一帯の計画の実習に行って来ます。
その詳細は後ほどに。


まぁタイトルにもあるように、
私たち都市に住む者は高度化された社会の中で便利な生活をしているわけだが、
決して都市は都市だけで生きているわけではないのに
どうも最近はそういう当たり前なとこが薄れてきているように思える。
地域格差とか政策上の扱いもそうだし。
っていうのが都市の環境問題の一因とも言えるけど。


私たち人間はいつしか一生物の枠を越えた生活をするようになった。
その最も生物の大原則から外れたものが
自分で自分の食べ物をとらない
ということではなかろうか。
手を使える、火を使える、とかも生物の中で特別ではあるが。

一次産業の従事者を除いて、
大部分の人は食べ物を自分でとらない。
その一番の弊害は「自分の食べているものが
どこでどうやってつくられ(とられ)ているかもわからない」
ということ。これがまさに食の安全性といった最近の問題に直結している。


ある先生の言葉を借りると
「人間は自分の食べるパンがどうやってつくられるか知らなければならない」。

自分で食べ物をとらない多くの人間は
環境の悪化がこのまますすめば
真っ先に死ぬ運命にあろう。


自分で食べ物をとるように変わることはできないが
少なからずもっと自分の食べ物を見直し
そして一次産業そのものを見直す、
あるいは生産の場である農村を尊重する傾向になっていく必要があろう。


そんな視点からもぜひ農村への興味を持っていただけたら幸いだ。