いただきます。

いただきます。


<元来は浄土真宗において、食材である生き物の植物や動物の命を絶ち調理し、
それらの命をもらって、それを食べる人間が自分の命を維持し生存することの感謝を表す。
つまり、それら生き物たちが、彼らの命を我ら人間にお布施として与えてくれるとする。>
wikipediaより引用)


最近になって、「いただきます」という言葉の意味が身にしみる。
先日、大切な友人が食事をするときに「いただきー」と毎回言うのに、
なぜか不快感を感じてしまって、
「せめて俺の前では「いただきます」とちゃんと言ってほしい」
と伝えた。


「いただきます」は誰に言うのか、何をいただくのか。
実態は思っているよりきっと奥深いものだと思うけど、
料理してくれた人に、食材を運んでくれた人に、生産者に。
そして本来は、食材である生き物の命をいただくことへの感謝の言葉。
他の言語にもあるかどうかはわからないけれど、
日本語の美しさ、日本文化と自然観が凝縮しているように思えてくる。


他の生き物の命をいただいて、自分の命をつなぐ。
それはまさに「生き物としての人間」の姿。
食物連鎖、生態系の一員としての人間。
しかし今、はたしてどれほどの人が、食べ物の「命」の存在を認識できるだろうか。


「いただきます」はかろうじて生産と消費をつないでいる、最後の糸ではないだろうか。