やる気がないオーラ

設計の中間発表であれだけやる気がみなぎったと思ったら、
案の定、一夜城、腐った根性←韻をふんでみたw
失速が著しく、設計の当日の朝になるまでやらないことも。
ホントに設計に向かい合うことがすごく苦痛。
無性に逃げ出したくなる。


去年も設計でウツになることはよくあった。
でもやる気ないなりに手を何かしら動かしてた。
ところが今はホントに何もしない。
すぐ寝る。
やる気は出ない。
というか廃人。


バイトも今はほとんどしてない。
勉強してるわけでもなく、授業が忙しいわけでもない。
なのに、なのに…


一方では大池公園にホタルを見に行った。
一人だったのがさびしいけど、十分だった。
ホタルはおそらく光ったのは10匹もいなかった、それでも十分だった。
身近な自然がすごく魅力的に見えてきた、
いやホタルは身近とは言えないかもしれない。


となりの田んぼでカエルが騒いでいた。
たぶんあのモーモー言う声はウシガエルさんだろう。
カエルの声は街中では聞けない。
なんだかカエルの存在だけでもわくわくしてしまった。


自然を見ることには何も苦労を惜しまないようになった。
と言うか、自然を「見る」とか「見に行く」ものと考えるのは本来おかしいものかもしれない。
かつて当たり前にあったものなのだから。
そんな現代でも自転車で行ける距離にあれだけの自然があることは喜ばしいことだ。
子どもは自然の中でこそ生活で必要なことを多く得るのは当たり前だ。
都市の、せいぜい人工的な自然の中、あるいは全く自然に触れずに育った子は
将来はそれほど心の豊かな子にはなるわけもない。


話はそれたが、とにかく設計以外のことは何でも意欲があるのに…
多分自分がつまらないと思っていたら、その建築作品にもつまらなさが現れるのは当たり前だろう。
先生にもズバリそこを指摘されてはっとした。
「何かおとなしすぎる」と。
原因は明らか。
「自分でも、設計がつまらなくてしょうがないからだ」と。
先生だって、何を指導すればいいか難しいモノになってしまった。


安易にここで「自分は建築には向いてない」とか
「そうか、建築ではなく自然なんだ」と考えるのはよくない。
今自分の中では明らかに建築から逆へベクトルが向いている。
でも、ゆっくり考えていかないと危ないのもわかっている。
できるならその中間、建築と自然の中間領域を扱う、なんてのが理想。
その一つのキーワードが「ランドスケープ」であるが
これについてはそのうち述べるとしよう。