都市に自然がなぜ必要なのか1

3日坊主になりつつあった。
ブログ連続更新は、宣言から3日でとりあえず途絶えましたね(笑)


さて、今日はtakeの永遠のテーマになりうるようなもので、
「都市に自然がなぜ必要なのか」について考える。
「1」と番号をつけたのは、これから何度も議論していくべきだと思うからだ。


「都市部の自然なんて価値がない、でもその土地にマンションでも建てれば
金儲けはいくらでもできる!」
と、こんな言葉は今までも、そして今もどこかで言われていると思うが、
都市の自然を破壊してきたのは間違いなくこうした考え方が元凶だと思われる。


「都市の自然は農村の自然より劣るのは確かだが、でも大事なんだ」
とうったえてきた人も中にはいる。
しかし多くの人は
「自然が見たいなら農村に行けばいい」
と答えるのだろう。


こんな考え方をしていたから、


自然破壊→価値の低下→もっと破壊


という負の連鎖をはじめたんじゃないかと思う。


実際、都市の自然はもはや大した価値はないのかも知れない。
価値と一言で言っても、ここでは
・生物の生息空間としての機能
・気候緩和機能(保水機能、ヒートアイランド現状緩和機能など)
・生産機能(生物の食糧生産など)
といった環境的価値をいう。


一方では
・オープンスペースとしての機能
・レクリエーション機能
・災害時の避難場所としての機能
は人口の密集する都市部ではより一層重要な価値をもたらす。
(ただし不動産価値については言及しないこととする)


都市の自然の最大の特徴、それは
周りに人がたくさんいる
ということである。ただそれだけ。
つまりこのファクターこそが、都市の自然の存在意義を見出してくれる。


たとえば、農地で考えると、
都市の農地は周辺住民からの苦情を受けやすいという社会的背景、
相続税、宅地並み課税などの政治的背景、
小規模になりがちで生産性が悪いという経済的背景
など、様々な悪条件がある。
それならば農村で同じ面積で生産する方がずっと楽かも知れないし、
ずっと収益も上がる可能性がある。


現在、都市農地を全て農地として守っていくことが実質不可能になり、
選択的に優良な農地のみを残す支援をしていくことが有効だ、
という議論がされている。
すなわち肉を切らせて骨を断つのと同じである。
それがいいか悪いかは別として、
では明らかに有用とは言えない都市農業を守る意義は何なのか。
これが「都市に自然がなぜ必要なのか」という答えと一致する。


俺の考えでは、
都市農業は、その消費者と距離が近いことに意味がある。
ただスーパーで野菜を見て買うだけの消費者が
「野菜は畑で生産されているものだ」
という本当に当たり前のことを忘れさせないようにすることができる。
これほどまでに生産と消費が分離した社会で、
都市の農地(自然)はそれらをギリギリつないでくれる糸なのである。
この機能はいくら軽く見られたとしても、
現代社会で欠かすことのできない重要な機能だといえる。
最近では、市民農園をはじめ、各地で農家と小中学校が連携したりすることも活発化し、
ますます都市農業の意義は高まっていると思う。


都市住民にとって、都市の自然は
一生物としての当たり前の性質をかろうじて伝えてくれる最後の砦なのだ。
だから都市の農地を守っていかなきゃいけないと思う。
ある種の「農業のシンボル」と言えるかも知れない。
どんなに生産性が悪くても、そこに存在していることに意味がある!
と言ったら言い過ぎか。
「農業は文化そのものだ」とよく言われるが、
農業が物言わぬ語り手であることは間違いない。
森や川も然り。


彼らの無言のメッセージに一人でも多くの住民が気づける街になっていかなきゃいけない。