遊ばない小学生たち

昨日は千代田区のとある小学校にて先輩の研究の手伝いで、
小学生にアンケート調査を実施した。
内容は小学生の遊び場について。
ふだん誰とどんなところで遊んでいるかなどを調べる。


すると思いも寄らない答えが多々見受けられる。
プライバシー上詳細は避けるが、
概ね遊ばない子どもが多いことがわかる。
5年生にもなると塾に通う子どもも増えるが、
勉強しかしていない子もいる。
遊ぶとしても一人が多かったり。
公園はいらない、と簡単に言える子ども。
校庭の地面が緑のペイントになっているのが「公園より緑が多い」…


遊びを知らない子どもたちは遊びを知らない大人になるだろう。
本物の自然を知らない子どもは自然を守る意味もわからないだろう。


俺は子ども時代の遊びから人間の大部分が作られると思っていて
小学生は遊ぶことが仕事だと思う。


またよく言われるように
友達と遊ぶことから集団という社会、ルール、思いやり、痛み…
そして自分で自分や他人を楽しませることを考えたり、作り出す「創造力」を育てると思う。
どれも今の凶悪犯罪にもつながるもので、日本人に足りないと言われているもの。
こうした状況に問題を投げかけながら、その状況を作り出している元凶は大人たち自身ではないか。


この小学校は少し特殊だと思うが、電車で区外からの通学者も多い。
こうした状況は
人間と社会、学校と地域、学校と自然、校舎と校庭…
全てが切り離されたものとして生徒たちは認識しないだろうか。
教室内の水槽の中のメダカのように。
そこに学校が存在する必然性も感じられない。
一般に小学校は地域とのつながりの中で存在するものなのに。


今回の授業を通して心が痛んだのは俺だけだろうか。