今年第一号

久しぶりの更新になりました。


我が家のじゃがいもはほとんど面倒を見ずにスクスク育っていて、
6月末になって地上部が枯れて来ました。
ということで収穫期かとにらんで、
3株のうちの1株だけほってみると…



ちっちゃ…


と小さいのが見つかった後に


あったー!!!


こぶし大です。



それにしてもじゃがいもの地上部が枯れるときは、
もう茎はスカスカに軽くなっちゃうんですね。
根(というか塊茎)にひたすら養分をためるために全力を使って
役目を終えたら潔く散る…
ちょっとロマンがありますね(笑)

昨日一番うれしかったこと

takeo_takeo2009-05-21

変人日記スタート!


今年は庭での野菜づくり&お米づくりに熱を注いでいるtakeですが、
同時に肥料の自給(というより自作)もしてみようと、
庭の片隅に堆肥場をつくっています。


堆肥場といっても、
単に選定枝や落ち葉、雑草などの有機物を積み上げて、ビニールで覆い、
微生物の力を借りて発酵させるというただそれだけ。


枝はできるだけ細かく切って、
また微生物の活動が活発になるように油かすを入れました。
適度に水を入れたり、
半月に一度くらい堆肥の切り返しを行うとよいとのこと。


さて、その半月に1度の切り返しをしてみました。(実は1か月以上放置しましたが)
切り返しと言うと、おととし宮城県大崎市の田尻で
牛糞での堆肥を半日かけてローダーという機械を操って切り返したことを思い出します。
中から発酵するにおいと白煙が立ち上り、
いかにも活動中!というエネルギーを感じたものです。


我が家のそれはその10万分の1くらいのスケールですから、
シャベルで2回くらいすくえば終わり(笑)


でもせっかくなので、堆肥の下になっていた土もひっくり返してみました。
というのも、今までは土の上に盛る形で作っていたのですが、
少し穴を掘ってそこに入れて上に出る体積を減らしたかったからです。
(実際、積んだ当初は盛り盛りしていたのですが、
1月もたつとかなりぺったんこになったんですけどね)


そして土にシャベルを入れてみました。


ミミズ、ミミズ、ミミズ、ミミズ
ミミズ、ミミズ、ミミズ、ミミズ
ミミズ、ミミズ、ミミズ、ミミズ


出るわ、出るわ!


うちの庭、ミミズなんて貴重な存在だったはず(かなりひどい土でした)。


まるでミミズのマンションや〜


土の塊を掘り上げると、あちらこちらからミミズが顔を出してます。


でも、シャベル入れるたびに何匹かお亡くなりになってしまったんじゃないかと、
途中から罪悪感で、思うように掘れず。
結局穴はほとんど掘らずに、切り返しだけしてふたをしました。


中には大きな枝にもカビが生えていたり(糸状菌?)、
白煙が上がったり(気のせいか)
順調に腐っております。


微生物の力、すっげー!!!


今まで、こうして目に見えるスピードで腐るのを実感することがなかったので、
油かすの力も大きいのでしょうが、それ以上にやはり分解者たちの働きに驚きです。


次の切り返しが楽しみになりました。


以上、昨日の一番うれしかった話でした(笑)


ちなみに写真は5月11日のヒトメボレの苗の写真。
2葉までは早かったけど、なかなか3葉が出なくて。
3葉が出たら、いよいよ田植えです!

発芽!

待ってました!
お米の芽が出ました☆


最近はあまり気温が上がらず、
なかなか芽が出ないなぁと心配だったんですが、
5月8日に一斉に芽が出てくれました。


前日に大雨が降って、
シートはかかっているものの、雨水は入ってくるはずだから
水没してるんじゃ…
と不安になりましたが、水びたしになりながらも
ちゃんと成長していたんですねー。



まだ葉緑体が形成される途中なので、
もうしばらく直射日光をあてずに置いておきます。


葉っぱが出てくるのが楽しみ☆

子どもの笑顔を力に

takeo_takeo2009-05-02

5月2日は瀬谷環境ネットのイベント「田んぼ体験」が行われた。
目的は代かきをすることだけど、まずは子どもたちに田んぼに慣れてもらおう!
ということで、裸足で田んぼの中を歩いてもらう。


瀬谷環境ネットが使わせてもらっている田んぼは、
今年度は近隣の小学校の農業体験の場としても活用している。
まだ一度も田んぼを見たことがない子どもたちに
田んぼを見せる機会にもなるわけ。


企画段階ではかなりバタバタした点も多くて、
大丈夫かなーという不安が先行してはいたけれど、
子どもたちは…


田んぼに入水すると、みんなキャーキャーキャーキャー
黄色い悲鳴が田んぼに響き渡る。
後々思い返すと、このキャーキャー言ってた子たちが
すぐに慣れるわけだから、不思議なもので。
「田んぼの中で座ってもいい?」なんて聞く子もいるんだから。
残念なことに(?)激しく田んぼにダイブする子はいなかったね(笑)。
まぁケガもなく、無事終わったのでホッとしてるけど。


その田んぼ体験の細かい様子は
本場の瀬谷環境ネットのブログにでも譲るとして、


最近大学でもそうだけど、イベントを企画して運営する、
という機会が多くなってきた。(ブログでは前にタケノコ掘りについて書いた)
自分自身が「自然環境を保全する」というのは何も自分だけが作業するのではなく、
周りの人に自然とかかわってもらう場を提供し、
そこで何かを伝えようと努力することも一つの手段である。
よく言われているように、むしろ自分が100回活動するよりも
100人に1回活動してもらうことの方がずっと大きな力になる。


自分の手で企画したイベント。
大変だな、面倒だな、と思うこともある。
でもそれが自分の中で成功(他の人が成功と思うか思わないかは別にして)だと思えたときは
やっぱりまた次もやってやろう!
もっと次はうまく仕掛けたい!
ってやる気になる。


ありがたいことに小学校とは1年を通じて関われることになっているから、
これからも多くのことを企画していく立場にある。


理想は僕らが子どもたちに伝えたいことを
子どもたち自身がアウトプットしてくれることかも知れないけど、
理屈抜きにして遊びの中で何かを感じ取ってくれたら十分。
田んぼの土のにゅるにゅる感、水のあたたかさ、生き物の多さ、生き物や土から空気の出る音。


いつも思う、僕が子どもの頃、身近なところに田んぼがあったらなって。
こんな体験を自分が実際やってみたかったなって。


だから今日のイベントの終わりには
子どもたちのはしゃぐ姿を見て「こんな場を自分の手で作り出せるなんて」
と感動してしまったわけで。


要するに
田んぼが面白いんです!!!!

稲の種まき

今朝、宮城県大崎市から取り寄せたお米「ひとめぼれ」の
種をまきました。
そうです、これが雁音米のもとになる種もみです。
自分が食べているお米、実際に育てて体験してみよう!
という企画です。


こちらが種もみです。



体験ですので、収量を目的とした農業とは異なります。
ですから苗を育てる「育苗」という行為は、やらなくてもいいわけです。
でもせっかくなので、田植えも体験したい!
ということで、育苗してから移植する方法を選択しました。


肝心な種を皿に播いたシーンは写真をとるのを忘れたので、
結局こうなりました。




一応、保温、直射日光からの保護、鳥よけの意味をこめて
トンネル風にしてみました。
明日からは細目に乾燥度をチェックします。
何か種まき後の水やりに関しては諸説が飛び交っており、
水を多くやるべきか、やならいべきかよくわかりません。
僕はやっぱり水をあげたい派ですけれど。


うまく発芽してくれるかなー。

ふりむけばヤ○がいた

今朝、ふと我が家のビオトープをのぞいてみる。
ん!?


脱皮殻だ!脱皮殻発見!


さらにもう1つ。



(ちなみに左は最近那須で見つけたオオカクツツトビケラの巣)


これは絶対いる!ヤツがいるぞ!


そして、ビオトープをほったらかして史上初めて
網を入れてみる。
2回、3回…


イターーーーーーー!!!!!!!


ヤツです、間違いなく生きているヤゴです!
シオカラ系ですね。




今年こそ、今年こそ、羽化してくれるか。。。
がんばって育てよ!!!


そしてめでたく、写真アップの方法を覚えました!

いただきます。

いただきます。


<元来は浄土真宗において、食材である生き物の植物や動物の命を絶ち調理し、
それらの命をもらって、それを食べる人間が自分の命を維持し生存することの感謝を表す。
つまり、それら生き物たちが、彼らの命を我ら人間にお布施として与えてくれるとする。>
wikipediaより引用)


最近になって、「いただきます」という言葉の意味が身にしみる。
先日、大切な友人が食事をするときに「いただきー」と毎回言うのに、
なぜか不快感を感じてしまって、
「せめて俺の前では「いただきます」とちゃんと言ってほしい」
と伝えた。


「いただきます」は誰に言うのか、何をいただくのか。
実態は思っているよりきっと奥深いものだと思うけど、
料理してくれた人に、食材を運んでくれた人に、生産者に。
そして本来は、食材である生き物の命をいただくことへの感謝の言葉。
他の言語にもあるかどうかはわからないけれど、
日本語の美しさ、日本文化と自然観が凝縮しているように思えてくる。


他の生き物の命をいただいて、自分の命をつなぐ。
それはまさに「生き物としての人間」の姿。
食物連鎖、生態系の一員としての人間。
しかし今、はたしてどれほどの人が、食べ物の「命」の存在を認識できるだろうか。


「いただきます」はかろうじて生産と消費をつないでいる、最後の糸ではないだろうか。